青梅線Classics

ここ青梅は、奥多摩から遙か東京駅まで行き着くことのできるいわば”通勤圏”を成し遂げている。東京直通する特別快速もあり、都会を身近にした。
かつては201系を改良した「四季彩」とネーミングされたジョイフルトレインが、ボックスシートやパノラマガラス窓を装備した観光用列車も導入し賑わった。
私が幼少から撮影していたストックがあり、歴史とまでもないが青梅線という列車の時代の流れを感じてください


101系

★撮影データ/Kodak Tele-Instamatic608(1975)

中央線から特別快速用として直通で走っていた101系。その姿は201系に繋がるおもむきで、特別快速の他、ホリデー快速として用いられていた


103系

★撮影データ/Kodak Tele-Instamatic608(1976)、PENTAX MV-1(1979)、CHINON SUPER GENESIS(1990)

1979年頃まで101系と共に活躍していた冷房車以前の貴重な103系が存在。オレンジバーミリオンのほか、青22スカイブルーが走行した時期で「混色編成」も見られた。
その後運行した「高運転台」はここでは割愛


201系

★撮影データ/PENTAX MV-1(1979)、CHINON SUPER GENESIS(1990)、Panasonic DMC-FX1

国鉄時代からJRに移り変わる狭間で生まれた車両の記録。デビューは1979年、大井工場での誕生寸前チェックから。ジョイフルトレイン「四季彩」は201系を代表する観覧用改造車


中央線から特別快速用として直通で走っていた101系。その姿は201系に繋がるおもむきで、特別快速の他、ホリデー快速として用いられていた。
201系は最も思い入れがあり、引退するまでの間、あらゆる場所にカメラを持って頻繁に動き回っていた頃があった


ED16

★撮影データ/PENTAX MV-1(1979)、CHINON SUPER GENESIS(1990)

青梅の”むかし”を垣間見られる。石灰を運ぶ主流だった青梅線にその名機は走っていた。1978年くらいからのプリントから引っ張り出してスキャン。当時記録していた文章そのまま再現してお届けする


★ED16形記録データ★
青梅線区で大活躍し、旧型電気機関車として親しまれていたED16。昭和57年11月のダイヤ改正を機に、引退へと一歩一歩とせまり、新しい機関車としてEF64が甲府区から転属することになった。 そのために、ED16ではただ1台スノープラウ搭載で最も人気の高かった14号機は、仕業検査をピット線以外で行う場合、点検上困難だったこと、スノープラウを装備するEF64が奥多摩まで入線可能になった理由で引退前にスノープラウを撤去。時々(当時1日に3本程度)東京直通用として201系が青梅まで入線している。そして、新しく入線したEF64。青梅線全てがローカル線を脱皮する瞬間だった。
●モノクロ写真について
高校時代に写真部所属中、モノクロ現像中心だったのでちょうど感じのいい仕上がりになった。懐かしさを醸し出す昭和時代の機関車を思わせる・・・


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